書評「アジアから初のユネスコ事務局長」
著者 松浦晃一郎
日仏会館(公益法人)元理事長 ルネサンス・フランセーズ日本代表部名誉会長
松浦晃一郎氏の人生は稀有である。
本書の読後感の第一は松浦氏の人生のその世界的スケールの大きさである。驚くべき天津からの船の帰国時の下関港の光景はまるで映画シーンのように衝撃的でさえある。かかわった国の数、ひとびととの交流、その世界的ネットワークは多分、前人未到のようにさえ見えてくる。
氏は幼少時代には小説家を夢見、生物学や化学にも関心を持つ万能学生であった。
経済学者として米国の MIT を志向したとも吐露されている。語学も英仏独語以外にラテン語もこなすまさにポリグロットである。東大 3 年生終了時に卒業に必要な単位数以上の 92 単位を取得、外交試験合格、外務省入り。文字通り休みなしの人生の中で、新たな改革を世界でも日本でも次から次へ実行されたそのご人生に最大の敬意を払いたい。
精神的にも肉体的にもタフである。皇居一 周ジョギングを日課にされ、私も一度だけパリ時代にテニスを一緒にさせていただいたが、水泳も登山などもなさっている。身体と知性の両立をさせるギリシャ哲学のプラトンのような天才なのかもしれない。
人は人生で必ずこれはと言う重要局面や転換点に遭遇する。そのときの選択が人生を左右していく。私は松浦氏より約半世代ほど後の世代だが、第 1 章の幼少時代、第 2 章の学生時代、第 3 章の外務省時代、第 4 章のユネスコ時代、第 5 章のポストコロナ時代のお話は自分自身のそれに思わず想いを馳せる。
ベルグソンの時間論ではないが最初の記憶は四国の田舎の庭先で「B29が来た」という声と爆音を聴いたときから今この瞬間まで自分の意識は不変的に途切れることなく続いている。氏の外務省時代はまさしく日本の経済外交の重要局面の政治と行政と外国政府との間に立って要の役を演じられていたことがよくわかる。
円借款に対する鄧小平からの感謝の言葉、東京サミットご準備で睡眠 2 時間の毎日、天皇陛下訪仏で南仏アルビやツールーズになった背景、縄文文化を愛したシラク大統領の時の核実験、などそれらの舞台裏で知らなかった事情を伺って当時のことが改めてよく理解される。走馬灯のように脳裏に浮かんでくる多くの思い出のなかでもパリとリヨンの駐在時にユネスコ事務局長に松浦氏が立候補されたときのことは大きな関心を抱いてみていたので、文中のフランスの「左派系メディア」のことはよく覚えている。ユネスコは松浦氏によって本当の世界のユネスコになったと言える。ユネスコ改革、米国の再加盟、文明間の対話、無形文化財遺産、言語・水中・記憶など5つの新たな遺産条約、ユネスコスクール、水資源・生命倫理などの新分野などが日の目を見ているのはまことに松浦氏の慧眼である。
2010 年ご退任後も創造都市ネットワークや世界新情報秩序などその社会貢献は続いている。
松浦氏に続いてこのような地球儀的な視野に立った日本人の登場が本書の冒頭にも強く期待されているのである。
会長 瀬藤澄彦
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